

タイは ASEAN 第 2 位の経済規模を持ち、製造業が GDP の約 27% を占める工業国だ。1980 年代から日系自動車メーカーの進出が加速し、「東洋のデトロイト」と呼ばれるまでに成長した。しかし 2025 年、EV 販売が前年比 70% 増の約 27 万台に達し、中国メーカーが EV 市場の 85% を占めるなど、タイの産業構造は急速な転換期にある。本記事では、タイ進出を検討する日本企業の担当者に向けて、主要産業の全体像から最新の構造変化、そして業種別の進出ポイントまでを解説する。

タイ経済の全体像を把握するには、GDP の構成比から見るのがわかりやすい。
タイの GDP は約 5,300 億ドル(2025 年推計)で、大きく 3 つのセクターで構成されている。2025 年の GDP 成長率は 2.4% と前年の 2.5% からやや減速したが、民間消費が 3.3% 増と底堅く推移した。
| セクター | GDP 構成比 | 主な産業 |
|---|---|---|
| 第二次産業(工業) | 約 33% | 自動車、電子機器、石油化学、食品加工 |
| 第三次産業(サービス) | 約 58% | 観光、金融、不動産、物流 |
| 第一次産業(農業) | 約 9% | コメ、天然ゴム、キャッサバ、水産物 |
※世界銀行・NESDC データ(2025 年)
数字だけを見るとサービス業が最大だが、タイ経済の「エンジン」は製造業だ。輸出額の約 80% を工業製品が占め、2025 年は通信機器(+83%)やコンピュータ(+91%)の輸出が急伸した一方、従来型の乗用車輸出は 16.9% 減少するなど、輸出品目の構造変化も進んでいる。農業の GDP 比率は 9% と低く見えるが、農業従事者は労働人口の約 30% を占めており、地方経済の基盤であり続けている。
| 国 | GDP(億ドル) | 1人当たりGDP | 主力産業 |
|---|---|---|---|
| インドネシア | 13,190 | 4,780 | 資源、製造、パーム油 |
| タイ | 5,150 | 7,170 | 自動車、電子、観光 |
| シンガポール | 4,970 | 84,500 | 金融、半導体、物流 |
| ベトナム | 4,300 | 4,320 | 電子組立、繊維、農業 |
| フィリピン | 4,040 | 3,570 | BPO、半導体、送金 |
| マレーシア | 3,990 | 11,970 | 半導体、石油ガス、パーム油 |
※IMF World Economic Outlook(2023 年推計)
タイは 1 人当たり GDP で ASEAN の中間上位に位置する。シンガポール・マレーシアには及ばないが、ベトナム・フィリピンの約 1.5〜2 倍の水準だ。この「中所得国」としてのポジションが、タイの産業政策を理解するうえで重要になる。安い人件費で勝負する段階は終わり、付加価値の高い産業への転換を迫られているのだ。

タイの産業を理解するうえで外せない 4 つの柱を見ていく。
タイは東南アジア最大の自動車生産国だが、2025 年は構造変化の只中にある。1〜9 月の総生産台数は約 107.6 万台で前年同期比 4.6% 減。ピックアップトラックが 20% 減と大きく落ち込む一方、EV 生産は急拡大している。
トヨタ、ホンダ、いすゞ、日産など日系メーカーが長年にわたり生産拠点を構え、部品サプライヤーを含めると日系自動車関連企業だけで 700 社以上が進出している。
筆者が日系自動車部品メーカーの技術文書翻訳を担当していた時期、「タイ語のできる品質管理エンジニア」の求人翻訳が毎月のように入ってきた。それほどサプライチェーンが厚く、日系企業が深く根を張っている産業だ。
ただし、ピックアップトラック中心だったタイの自動車市場は大きな転換点にある。2025 年の国内販売に占める EV 比率は 18% に達し、わずか 2 年前の数%から急伸した。内燃機関車の輸出が減少する一方、EV の輸出は増加に転じており、「何を作る国か」という根本が変わりつつある。
タイはハードディスクドライブ(HDD)の世界最大級の生産拠点であり、半導体のパッケージングやプリント基板の製造も盛んだ。電子部品・機器は自動車と並ぶ主要輸出品で、輸出額全体の約 14% を占める。
近年はデータセンター需要の増加に伴い、Google や Amazon がタイへのクラウドインフラ投資を発表している。従来の「部品製造」から「デジタルインフラ」へと電子産業の裾野が広がりつつある。
タイは「世界の台所」とも呼ばれ、食品加工業は輸出額で世界トップクラスだ。ツナ缶は世界最大の輸出国であり、鶏肉加工品、コメ、砂糖、タピオカ澱粉も主要な輸出品目に並ぶ。
CP グループ(チャロン・ポカパン)に代表されるタイの食品コングロマリットは、ASEAN 域内だけでなく中国・欧州にもサプライチェーンを展開している。日系食品メーカーにとっては、タイを ASEAN 向け輸出の製造拠点として活用するケースが増えている。
当社でもタイの食品工場向けに HACCP マニュアルや食品安全規格の翻訳を手がけることが多い。日本の品質基準をタイ語化する需要は年々増加しており、食品産業の日タイ連携の深さを実感する。
タイの観光業は GDP の約 12〜18% を占める巨大産業だ(関連産業含む)。コロナ禍で壊滅的な打撃を受けたが、2023 年に外国人観光客数が 2,800 万人まで回復し、コロナ前(約 4,000 万人)の 7 割水準に戻った。
バンコクは医療ツーリズムの拠点としても成長しており、バムルンラード病院やサミティヴェート病院には日本語通訳が常駐する。観光と医療の掛け合わせはタイ独自の強みで、この分野の翻訳・通訳需要も堅調だ。

タイ政府は「中所得国の罠」からの脱却を目指し、産業構造の転換を急いでいる。
2025 年のタイ国内 EV 販売台数は約 27.7 万台(前年比 70% 増)に達し、国内販売全体の 18% を EV が占めるまでに成長した。BYD は 2025 年 6 月にホンダを抜いてタイ国内販売第 2 位のブランドとなり、シェア 11.9% を記録。中国メーカー全体では EV 市場の 約 85% を占めている。
BYD はラヨーン県に年産 15 万台規模の工場を稼働させ、2025 年 8 月にはタイ製 Dolphin をドイツ・ベルギー・オランダ向けに初出荷した。タイを「ASEAN 向け」だけでなく「欧州向け輸出拠点」として活用する戦略が鮮明だ。
日系メーカーにとっては脅威であると同時に、EV 向けバッテリーや充電インフラという新たなサプライチェーンが生まれている。部品メーカーの業態転換が急務であり、当社にも「EV 関連の技術用語の日タイ対訳集を作りたい」という相談が増えてきた。内燃機関時代とは異なる専門用語体系が求められており、翻訳の現場でも産業構造の転換を肌で感じている。
なお、2026 年からは EV 3.0 補助金(最大 15 万バーツ/台)が終了し、物品税が 2% → 10% に引き上げられるため、EV 市場の成長ペースに変化が出る可能性がある。
タイ政府が 2017 年に打ち出した EEC(Eastern Economic Corridor) は、チョンブリ・ラヨーン・チャチュンサオの 3 県を先端産業の集積地とする国家プロジェクトだ。ロボティクス、航空宇宙、バイオテクノロジー、デジタル産業を重点分野として、税制優遇とインフラ整備で外資を呼び込んでいる。
デジタル経済では、タイの EC 市場規模が約 220 億ドル(2023 年)に達し、Shopee や Lazada を中心にオンラインショッピングが急拡大。キャッシュレス決済の普及も進み、屋台のおばちゃんが QR コードで決済を受け付ける光景はもはや日常だ。5 年前に現金しか使えなかった市場が、スマートフォン一つで回り始めている。
タイ政府が推進する BCG(Bio-Circular-Green)経済モデル は、バイオ経済・循環経済・グリーン経済を融合させた成長戦略だ。タイの強みである農業資源を高付加価値化する方向性で、バイオプラスチック、バイオ燃料、機能性食品の分野に投資が集まっている。
たとえば、キャッサバの残渣からバイオプラスチックを製造するプロジェクトや、コメの副産物から化粧品原料を抽出する研究が実用化段階にある。「農業国」のイメージを逆手に取り、バイオテクノロジーで付加価値を生み出す戦略は、タイならではのアプローチだ。

タイは日系企業にとって ASEAN で最も歴史の長い進出先の一つだ。
JETRO の調査によると、タイに進出している日系企業は 6,000 社超(2025 年時点)。ASEAN では中国に次ぐ最大級の日系企業集積地だ。
| 業種 | 構成比(概算) | 代表的な進出企業 |
|---|---|---|
| 自動車・同部品 | 約 25% | トヨタ、デンソー、アイシン |
| 電子・電機 | 約 15% | ソニー、キヤノン、村田製作所 |
| 食品・飲料 | 約 10% | 味の素、ヤクルト、大塚製薬 |
| 化学・素材 | 約 10% | 三井化学、旭化成 |
| 商社・物流 | 約 10% | 三菱商事、日通 |
| その他サービス | 約 30% | IT、人材、コンサル、翻訳 |
2025 年は日系企業の BOI 投資申請が 311 件(前年比 17% 増)、投資額 1,190 億バーツ(同 146% 増)と大幅に拡大した。自動車・部品、電子機器、デジタル分野への投資が中心で、EV 関連のサプライチェーン再編が投資増の主因とみられる。JETRO バンコク事務所の景況感調査(2025 年 11〜12 月実施)でも、日系企業の多くが 2026 年前半の景気改善を見込んでおり、タイへの投資意欲は依然として高い。
当社がタイ語翻訳を受注する中で、進出企業の翻訳ニーズには明確な段階がある。
フェーズ 1(調査段階): BOI 申請書類、市場調査レポートの翻訳。この段階では日→英→タイの三段翻訳が多い。
フェーズ 2(設立段階): 定款、就業規則、労務契約書のタイ語翻訳。タイの法律用語は独特で、直訳では通じない表現が多い。当社では法務翻訳の専門チームが対応し、タイ人弁護士のレビューを経て納品している。
フェーズ 3(運営段階): 技術マニュアル、品質管理文書、研修資料の翻訳が定常的に発生。この段階が最も翻訳ボリュームが大きく、読み手レベルに合わせたローカライズが重要になる。

産業のポテンシャルだけでなく、リスクも押さえておきたい。
タイには 外国人事業法(Foreign Business Act) があり、外国企業が従事できない業種が定められている。小売、サービス業の一部は外資 100% での参入が制限されており、タイ人パートナーとの合弁が必要になるケースがある。
| 規制カテゴリ | 内容 | 例 |
|---|---|---|
| List 1(完全禁止) | 外国人参入不可 | メディア、農地取得 |
| List 2(特別許可) | 閣議決定で許可 | 武器製造、国内輸送 |
| List 3(タイ人保護) | 商務省許可で参入可 | 小売、飲食、広告、建設 |
BOI の投資奨励を受けると外資 100% が認められる場合もあるが、業種と条件の組み合わせが複雑だ。進出前の法務デューデリジェンスは必須であり、関連書類のタイ語翻訳も早い段階で発生する。
タイの最低賃金は 2025 年に地域別の差額制が導入され、日額 337〜400 バーツ の幅がある。バンコクは 2025 年 7 月に日額 400 バーツ(約 1,700 円)へ引き上げられ、プーケット、チョンブリ、ラヨーンなど主要工業・観光地域も同額。地方部は 337〜370 バーツ台だ。
特にバンコク周辺では、IT エンジニアや経理・法務の専門人材の獲得競争が激しい。日系企業が提示する給与水準が欧米系・中国系企業に劣るケースも出てきており、「日系だから人気がある」という前提は通用しなくなりつつある。タイ政府は 2027 年までに最低賃金 600 バーツ/日 を目標に掲げており、人件費上昇は今後も続く見通しだ。
人材確保の観点からも、社内文書や福利厚生資料のタイ語化、タイ語での採用広告の品質が差別化要因になっている。

2025 年 7 月時点で、バンコクの最低賃金は日額 400 バーツ(約 1,700 円)。ただし 2025 年から地域差制が導入され、全国では日額 337〜400 バーツの幅がある。月額換算でバンコクは約 10,400 バーツ(約 44,000 円)だが、製造業の実勢相場は最低賃金の 1.5〜2 倍。タイ政府は 2027 年に日額 600 バーツ への引き上げを目標としており、今後も上昇が見込まれる。
タイ投資委員会(BOI)に申請し、対象業種・投資額・技術移転の条件を満たす必要がある。法人税免除(最大 8 年)、外資 100% 許可、外国人労働許可の優遇などが得られる。申請書類はタイ語と英語の両方が求められるため、翻訳の正確性が審査に直結する。
BOI 申請書類(英→タイ)、定款・就業規則(日→タイ)、労働契約書(日→タイ)が初期に必要になる。運営段階に入ると技術マニュアルと研修資料が定常的に発生する。法務文書はタイ人弁護士のレビューを通すことを強く推奨する。

タイは自動車・電子・食品加工を柱とする製造業大国だが、2025 年に EV 販売比率が 18% に達し、中国メーカーが EV 市場の 85% を占めるなど、産業構造の転換が加速している。日系企業は 6,000 社超が進出し、2025 年の BOI 投資申請額は前年比 146% 増と投資意欲は旺盛だ。一方、最低賃金は 2027 年に 600 バーツ/日への引き上げが目標とされ、人件費上昇も織り込む必要がある。
進出を成功させるには、業種ごとの規制と BOI 優遇の組み合わせを正確に理解し、設立から運営まで各フェーズで必要な文書をタイ語でローカライズすることが不可欠だ。
タイ語の翻訳・法務文書のローカライズについてお困りの方は、当社までお気軽にご相談ください。
Yusuke Ishihara
13歳でMSXに触れプログラミングを開始。武蔵大学卒業後、航空会社の基幹システム開発や日本初のWindowsサーバホスティング・VPS基盤構築など、大規模システム開発に従事。 2008年にサイトエンジン株式会社を共同創業。2010年にユニモン株式会社、2025年にエニソン株式会社を設立し、業務システム・自然言語処理・プラットフォーム開発をリード。 現在は生成AI・大規模言語モデル(LLM)を活用したプロダクト開発およびAI・DX推進を手がける。