

タイは 2026 年、観光戦略を「量から質」へ大きく転換した。訪タイ外国人 3,670 万人・観光収入 2.8 兆バーツを目標に掲げつつ、滞在日数と 1 人あたり消費額の引き上げに重点を置く。ビザ政策の大幅緩和、ウェルネスツーリズムの成長戦略、ソフトパワーとの融合、サステナブル認証制度の導入——これらの政策変更は、タイで事業を展開する日系企業にとっても無視できない影響を持つ。本記事では、タイの観光政策の最新動向を体系的に整理し、ビジネス上の示唆を読み解く。

タイ観光業の現在地を、直近 2 年間のデータから確認する。
2024 年の訪タイ外国人数は 3,505 万人に達し、コロナ前の水準をほぼ回復した。国際観光収入は約 1.7 兆バーツ。国別では中国(673 万人)、マレーシア(495 万人)、インド(213 万人)が上位を占め、日本人は約 100 万人で推移した。
しかし 2025 年は一転して 3,297 万人(前年比 7.2% 減)に減速した。中国人観光客が約 30% 減少したことが最大の要因だ。バーツ高、安全面への懸念(ぼったくり報道)、ベトナムやインドネシアとの競争激化も重なった。
一方で 1 人あたりの平均消費額は約 46,400 バーツに上昇し、前年の約 42,300 バーツから 10% 近く増えている。「人数は減ったが、使う金額は増えた」——この構造変化が、2026 年の戦略転換の背景にある。
当初の 2025 年目標は 3,600〜3,900 万人・観光収入 1.98〜2.23 兆バーツだったが、大幅に未達となった。タイ国政府観光庁(TAT)はこの結果を「中国依存リスクの顕在化」と分析し、ソースマーケットの分散と高付加価値セグメントへのシフトを 2026 年戦略の核に据えた。
筆者が 2025 年後半にバンコクの観光関連カンファレンスに参加した際、TAT 幹部が「3,000 万人台を維持しつつ、1 人あたり支出を 65,000〜80,000 バーツに引き上げることが最優先課題だ」と明言していたのが印象的だった。数字の目標が「人数」から「単価」に変わった瞬間を、現場で目撃した感覚だ。

TAT が掲げる新戦略の全体像を解説する。
TAT は 2026 年の戦略スローガンに 「Value is the New Volume」 を掲げた。入国者数の最大化ではなく、滞在日数の延長(目標 14〜21 日)と 1 人あたり消費額の引き上げ(目標 65,000〜80,000 バーツ)に軸足を移す。
具体的には、バンコク一極集中から地方分散を進め、二次都市(チェンマイ、クラビ、コンケン等)への誘客を強化する。観光客がバンコクで 3 日過ごして帰国するパターンから、地方で 1〜2 週間滞在するパターンへの転換を狙う。
TAT は「Amazing 5 Economy」として 5 つの経済圏を観光戦略の柱に位置づけている。
| 経済圏 | 内容 | 主なターゲット |
|---|---|---|
| Life Economy | ウェルネス・医療ツーリズム | 健康志向の中高年・富裕層 |
| Sub-Culture Economy | ニッチ・高付加価値セグメント | 特定テーマの愛好家 |
| Night Economy | 創造的なナイトライフ | ミレニアル・Z世代 |
| Circular Economy | サステナブル観光 | 環境意識の高い欧米層 |
| Creative Economy | 文化・クリエイティブ産業 | アート・デザイン愛好家 |
従来の「ビーチ+寺院+ショッピング」から脱却し、体験価値の高いセグメントに観光資源を集中させる方針だ。
| 指標 | 目標値 |
|---|---|
| 訪タイ外国人数 | 3,670 万人 |
| 国際観光収入 | 2.8 兆バーツ |
| 国内+国際合計 | 3 兆バーツ |
| 平均滞在日数 | 14〜21 日 |
| 1 人あたり消費額 | 65,000〜80,000 バーツ |
2025 年実績(3,297 万人)からの回復を見込みつつ、収入面では 2024 年の 1.7 兆バーツから 64% 増という野心的な目標を設定している。

タイ政府はビザ政策を大幅に緩和し、入国手続きのデジタル化を進めている。
日本を含む 93 ヶ国・地域 の国民に対し、観光目的での入国時に 60 日間のビザ免除 が適用されている。従来の 30 日から倍増した形だ。さらにビザ・オン・アライバル対象国も 19 ヶ国から 31 ヶ国に拡大された(2025 年 5 月 1 日施行)。
日系企業の出張者にとっては、短期の視察・商談であればビザ取得の手間なく 2 ヶ月間滞在できるようになった。ただし就労活動にはワークパーミットが別途必要な点は変わらない。
DTV ビザは 2024 年 7 月に導入された新しいビザカテゴリで、リモートワーカーやフリーランス、ソフトパワー活動(ムエタイ、料理教室、医療目的等)を行う外国人を対象とする。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 有効期間 | 5 年間(マルチプルエントリー) |
| 1 回の滞在上限 | 180 日(180 日延長可能) |
| 費用 | 10,000 バーツ(延長時 1,900 バーツ) |
| 資金要件 | 銀行残高 500,000 バーツ以上 |
| 申請方法 | オンライン申請可能(大使館訪問不要の場合あり) |
従来のノンイミグラントビザ(17 カテゴリ)が 7 カテゴリに簡素化される 2026 年の入管改革とも連動しており、長期滞在の選択肢が大幅に広がった。日系企業のタイ拠点でリモートワークを行う社員や、タイに長期出張するコンサルタントにとって有力な選択肢になる。
2025 年 1 月 1 日から e-VISA システムが全世界で稼働し、タイのビザ申請が完全オンライン化された。従来は大使館・領事館への出頭が必要だったが、書類のアップロードから審査結果の受け取りまでオンラインで完結する。
これにより、地方在住の出張者やビザ取得のために東京・大阪まで出向く必要があった申請者の負担が大幅に軽減された。
タイ入管局は従来の紙の出入国カード(TM.6)に代わり、TDAC(Thailand Digital Arrival Card) を導入した。タイ国籍以外のすべての入国者が対象で、空路・陸路・海路を問わず登録が必要となる。
登録のポイント:
タイ国政府観光庁(日本事務所)は、クレジットカード情報を要求する偽サイトが出回っていると警告している。TDAC の公式サイトは tdac.immigration.go.th のみであり、手数料は一切かからない。
事前登録せずに到着した場合でも、空港の入国審査前にその場で登録できるが、混雑時は待ち時間が発生する。出張者への事前案内に TDAC 登録手順を含めておくことを推奨する。

タイ政府はソフトパワーを観光誘客の中核に据えている。
タイのソフトパワー戦略は 「5F」 を軸に展開されている。
| F | 内容 | 観光との接点 |
|---|---|---|
| Food | タイ料理の世界発信 | フードツーリズム、料理教室 |
| Film | コンテンツ産業の振興 | ロケ地巡礼、映画祭 |
| Fashion | タイシルク・デザイン | ショッピングツーリズム |
| Festival | 文化祭事の観光資源化 | ソンクラン、ロイクラトン |
| Fighting | ムエタイのスポーツ化 | トレーニングツーリズム |
さらに TAT は観光客向けに 「5 MUST DO」 を設定し、Must Try(ムエタイ)、Must Taste(タイ料理・伝統菓子)、Must Seek(宗教・文化体験)、Must See(タイ伝統芸能)、Must Buy(地場産品)を体験型コンテンツとしてパッケージ化している。
タイ政府はソフトパワー関連で 2030 年までに年間 4 兆バーツの経済効果を見込んでいる。
TAT は 2026 年のプロモーションに BLACKPINK の Lisa を Amazing Thailand アンバサダーに起用し、ティザー映像を公開した。K-POP とタイ観光を結びつける戦略は、Z 世代を中心としたアジア市場の取り込みを狙う。
並行して 「BE MY GUEST」キャンペーン では、各国のセレブリティやインフルエンサーをタイに招待し、体験コンテンツを SNS で発信させる仕掛けを展開。中国市場向けには 「中泰一家亲(Zhong Tai Yi Jia Qin)」 キャンペーンで、減少した中国人観光客の回復を図る。
欧州市場に対しては、航空会社との連携で 845 万人の欧州観光客を目標に掲げている。
ソフトパワー戦略と DTV ビザは密接に連動している。DTV ビザの取得要件に「ムエタイのトレーニング」「タイ料理の学習」「医療・ウェルネス目的の滞在」が明記されており、ソフトパワー体験を目的とした長期滞在を制度面から後押ししている。
2〜3 日の観光ではなく、数週間〜数ヶ月かけてタイ文化に浸る「ディープツーリズム」を促進する仕組みだ。

タイ政府が最も力を入れている高付加価値セグメントがウェルネス・医療ツーリズムだ。
タイのウェルネス経済の規模は 2023 年時点で 405 億ドル、うちウェルネスツーリズムは 123 億ドルに達する。ウェルネスツーリズムの成長率は前年比 119.5% で、中国に次いで世界 2 位の伸び率を記録した。
医療ツーリズムに限ると市場規模は約 290 億バーツ(2023 年)。医療目的の訪タイ者は 1 人あたり 107,662 バーツを消費しており、一般観光客の約 2 倍だ。タイには JCI 認証を取得した病院・クリニックが 61 施設あり、医療費は欧米の 30〜70% 程度と価格競争力も高い。
「Thailand International Medical Hub Development Strategy 2017-2026」のもと、タイ政府は 4 つの柱——Wellness Hub、Medical Service Hub、Academic Hub、Product Hub——で医療ツーリズム先進国を目指している。
2026 年の具体的な目標は以下の通り:
従来のスパ・マッサージ中心から、予防医療・長寿科学(Longevity Science) へのシフトが明確になっている。中東の富裕層を重点ターゲットに据え、プライベートジェットでの来タイに対応する VIP 動線の整備も進む。
2026 年 11 月 10〜13 日、世界最大級のウェルネス業界カンファレンス Global Wellness Summit がプーケットで開催される。テーマは 「The Symphony of Wellness」。タイがホスト国に選ばれたこと自体が、ウェルネスデスティネーションとしての国際的な評価を裏付けている。
このイベントを契機に、プーケットを中心としたウェルネスリゾートへの投資が加速する見込みだ。日系企業にとっては、医療通訳・ヘルスケア IT・健康食品などの関連ビジネスで参入機会が生まれる可能性がある。

タイは持続可能な観光に向けた制度整備を本格化させている。
2025 年に策定された Thailand Green Tourism Plan 2030 は、タイの観光産業全体をサステナブルに転換するロードマップだ。2025〜2026 年はシステム設計とパイロット認証のフェーズに位置づけられている。
中核となるのは 「Thailand Good Travel」認証 で、観光地、コミュニティツーリズム、宿泊施設(50 室以下)、ツアーオペレーターを対象に、サステナビリティ基準を満たした事業者に認証マークを付与する。
TAT は独自に 17 の Sustainable Tourism Goals(STGs) を設定し、国連 SDGs と連携した目標管理を行っている。
STAR(Sustainable Tourism Acceleration Rating) は、観光事業者のサステナビリティを段階的に評価する認証制度だ。2026 年末までに 観光事業者の 70% が STAR 認証を取得することを目標としている。2025 年 8 月時点で 2,300 以上の事業者が登録済み。
並行して、2025 年 7 月には 10 のグリーンシティに 20 のサステナブルルートが開設された。「Thailand Green Coach」 メンタープログラムも始動し、認証取得を支援する体制が整いつつある。
日系の宿泊・旅行事業者がタイで事業を展開する場合、STAR 認証の取得は競争力の差別化要因になり得る。

観光客の増加を支えるインフラ整備も急ピッチで進む。
| 空港 | 拡張内容 | 目標キャパシティ | 完了予定 |
|---|---|---|---|
| スワンナプーム(東側拡張) | 新ターミナル建設 | 年間 8,000 万人 | 2030 年 |
| ドンムアン(第 3 ターミナル) | 国際線ターミナル新設 | — | 2030 年 |
| チェンマイ | 新空港建設 | 年間 2,000 万人 | 2033 年 |
| プーケット(国際線拡張) | ターミナル拡張 | 年間 1,800 万人 | 2030 年 |
2025〜2026 年で 287 プロジェクト・総額 2,534 億バーツの交通インフラ予算が計上されている。運輸省は 2026 年に 11 のメガプロジェクト(総額 3,598 億バーツ) を予定しており、3 空港高速鉄道やウタパオ空港の整備が含まれる。
スワンナプーム・ドンムアン・ウタパオの 3 空港を結ぶ高速鉄道は、EEC(東部経済回廊)の開発と連動する象徴的プロジェクトだ。完成すれば、バンコク都心から東部の工業地帯・リゾートエリアへのアクセスが大幅に改善される。
タイ〜中国高速鉄道(バンコク〜ナコンラチャシマ間)も建設が進行中で、将来的にはラオス経由で昆明と接続する計画。完成すれば、中国南部からの陸路観光客の増加が見込まれる。
日系企業にとっては、沿線の商業施設開発や物流拠点の立地選定に影響を与えるプロジェクトだ。

観光政策の転換は、観光業界以外の日系企業にも波及する。
ウェルネス・医療ツーリズム分野 では、医療通訳サービス、日本式ヘルスケア(温泉・リハビリ技術)の輸出、健康食品・サプリメントの販売に商機がある。Global Wellness Summit 2026 のプーケット開催は、日本のウェルネス関連企業にとってショーケースの機会だ。
サステナブルツーリズム分野 では、省エネ設備、廃棄物処理技術、環境モニタリングシステムなど、日本の技術力が活きる領域が多い。STAR 認証取得を支援するコンサルティングサービスも有望だ。
デジタル分野 では、TDAC や e-VISA のインフラ整備に伴い、旅行 DX・観光テック関連の需要が拡大している。
ビザ政策の緩和は日系企業の駐在員・出張者にも直接的なメリットをもたらす。
出張者への渡航案内に TDAC の登録手順と DTV ビザの選択肢を含めることを推奨する。

観光目的であれば不要。日本は 93 ヶ国・地域のビザ免除対象に含まれており、60 日間の滞在が可能だ。ただし就労にはワークパーミットが必要で、ビザ免除での就労活動は違法となる。入国時には TDAC(Thailand Digital Arrival Card)の事前登録を推奨する。
タイでリモートワークを行うフリーランスや、ムエタイ・タイ料理などのソフトパワー活動を目的に長期滞在する人に最適だ。5 年間有効のマルチプルエントリーで、1 回あたり最大 180 日(延長可)滞在できる。銀行残高 50 万バーツの資金要件がある点は注意が必要。日系企業のタイ拠点に数ヶ月単位で出張するコンサルタントにも活用されている。
直接的には、ビザ緩和と TDAC 導入により出張・赴任のハードルが下がった。間接的には、ウェルネスツーリズム、サステナブル観光、観光テックの 3 領域で新たなビジネス機会が生まれている。特に医療ツーリズム収入 1,250 億バーツという政府目標は、医療通訳・ヘルスケア IT・健康食品など周辺ビジネスの需要拡大を意味する。

タイの観光政策は 2026 年、「量から質」への明確な転換期を迎えた。3,670 万人の入国者数と 2.8 兆バーツの収入目標を掲げつつ、ウェルネス・ソフトパワー・サステナブルを三本柱に高付加価値観光を推進している。ビザ政策の大幅緩和と TDAC 導入は、日系企業の駐在員・出張者にとっても実務的なメリットが大きい。
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Yusuke Ishihara
13歳でMSXに触れプログラミングを開始。武蔵大学卒業後、航空会社の基幹システム開発や日本初のWindowsサーバホスティング・VPS基盤構築など、大規模システム開発に従事。 2008年にサイトエンジン株式会社を共同創業。2010年にユニモン株式会社、2025年にエニソン株式会社を設立し、業務システム・自然言語処理・プラットフォーム開発をリード。 現在は生成AI・大規模言語モデル(LLM)を活用したプロダクト開発およびAI・DX推進を手がける。